SHORT STORY
『彼方を待ちて』03. ムラサキ
「お客様がいらっしゃるとの事ですが、ラベンダーはどう思われますか?」
不意にかけられた声に、掃除の手を止める。
やってきたのは金髪のメイドだ。客室担当のマリーゴールドは客人がいない紅葉館では手隙になるため、ラベンダーの仕事である清掃と備品の管理を手伝っている。
館に客を迎えるに辺り一番喜んでいるのは彼女だろう。
客室の掃除の手にも熱が籠っていた。
「そうですね……私としてはお客様にご不便が無いようにしたいです」
「それは大切ですね……あの方のお孫様との事ですから、仕事ぶりを厳しく見られてしまうかもしれません」
「はい」
ラベンダーは神妙に頷く。彼女の仕事は今度来る客の祖母から教わった事も多い。
見苦しい姿を晒す事は出来ない。
「そのために使われていない家具も一度整理しようと思います」
「家具……ですか?」
紅葉館の歴史は長く、それだけの時を経た家具も残されている。
いくつかは修繕し複製品を使う等の対策をしているのだが、それでも使用を躊躇う物も存在している。
一度は処分する事も検討されたのだが、中には貴重な物がある事と紅葉館の歴史であるとして残されていた。
「ではどこか空いた部屋に……あ」
場所を検討し、マリーゴールドは気が付いた。
丁度よい場所が存在していない事に。
「図書室の本は手付かずですし、そもそも溢れた本を一室に押し込めている現状、更に家具までとなると……」
使われなくなった家具とはいえ、数が多い訳ではない。また使用に耐えない程に破損している訳でもない。
ただ木片はささくれ立ち、年代を経て入ったひび割れは棘となって客人の手を傷つける。
そのような物を大事な『お客様』が触れる所に置くわけにはいかない。
「そこで考えたのですが……応接室はいかがでしょうか?」
「応接室ですか? ですがお客様がいらっしゃるのならば、一番に使う所ではないでしょうか?」
「いえ、元々はお仕事や商談のために用意された所です。外から来られる方を出迎え、持て成すための所。しかし館の奥には通さずにお帰りを頂くための場とも言い換えられます」
「なるほど、そういわれると確かに最適かもしれません。今度いらっしゃる方はご滞在頂くのですから」
既に館の中で持て成す事が前提となっている。
仕事の話などもメイド長の部屋で直接行うだろう。
「ではローズマリーにそのように提案をいたしましょう。しかし館の物は主の私物でもあるのですから、配置を変えるには許可が必要です。ラベンダーは御裁可を頂いてきて下さい」
「かしこまりました。マリーゴールド」
主人に話すとあっさりと許可が下りた。
ローズマリーからも問題ないと言われる。
そうして二人の午後の仕事は、家具の移動となった。
「ふぅ……これは、少し早まったかもしれません……」
「私も今、同じ事を思っています……」
額の汗を拭い、肩で息を付いた。
使われてない家具の移動と言えば簡単な話だが、それは『館のどこがお客様の目に触れても良いように不要な物を片付ける』という事でもある。
各人の部屋からアレもコレもと注文がついて移動する量が膨れ上がっていく。
「マリーゴールドは衣類を少し減らした方が良いのではありませんか」
「頭では分かっているのです。頭では……」
館のメイド達は基本的にメイド服で過ごしている。
そのため私服を着る機会は殆どなく、私服の種類が少ない者も珍しくない。ローズマリーなどその最たるもので、ラフなシャツにジーンズといった誰に見せるでもなく普段使いするような私服しかない者もいる。
ラベンダー自身も母から受け継いだ着物しか持っておらず、ブラックリリーもメイド服以外を身に着けてる事は滅多にない。
その中でマリーゴールドは衣類の収集が趣味なのかと思う程に多く、部屋の衣装棚には入りきらずに外にあふれている。
「お給料の使い方は各人の自由ですから、それ自体は問題ないと思いますが……」
「誰に見せる物でなくとも、新しい衣服を身に着ける事で得られる喜びはあるのです」
「気持ちは分かりますが、それにしても……」
手にした段ボールを床に下ろす。
中にはマリーゴールドのワンピースが丁寧に折りたたまれて何着も入れられている。
「部屋は余っているのですから、貴女専用の衣装部屋を申請する手もありますよ」
「……ですがラベンダー。そのような事をしたら、今度こそ歯止めが利かなくなるとは思いませんか?」
「…………」
ラベンダーはその光景を想像する。
部屋いっぱいに埋もれた衣服を前に立ち往生しているマリーゴールドの姿が目に浮かぶ。
「……お客様にお見せする機会があると良いですね」
そうして質問には答えず、返事をはぐらかすのだった。
片付けも終わり中庭に出る。
ハサミを手に枯れ枝や成長の終わった枝葉の剪定をしていると、森に続く小道から黒髪の少女が現れた。
「ブラックリリー、お帰りなさいませ」
「ただいま。手伝う事はある?」
「いえ、大丈夫ですが……あ、こちらを確認して貰ってもよろしいですか」
「いいよ、どこ?」
ラベンダーは場所を譲り、自らが手掛けた箇所をブラックリリーに見せる。
「……うん。良いと思う。もう伸びない所はちゃんと切ってるし、日の通りもいい。虫がついてた所も綺麗になってるし問題ないと思うよ」
「ありがとうございます」
ラベンダーの仕事は洗濯、清掃、中庭の管理であるが、このうち植物の手入れは元々はブラックリリーの領分だった。
今では彼女からも教えを受けてラベンダーの仕事となっている。
その事について特に理由があった訳ではない。
ただ彼女の仕事を見ているうちに習い、教わったにすぎない。
「ねぇラベンダーは今度来るお客様が、どういう人だったら嬉しい?」
「私……ですか?」
「みんなに聞いてるんだけどね。ちなみに私は、ここを好きになってくれる人だと嬉しいかな」
「そうですね……私もそう思います」
「まぁ、これは皆そう思うよね。だから他にどんな人だったらいいかなーって言う話」
「……どのような……そう……ですね……」
少し、考える。
自分たちが外の世界から見て奇妙に思える事など重々承知だ。
外から人が来ると聞いた時にラベンダーが心配したのは、まずそこだった。
「私たちを落ち着いた目で見て下さる方でしょうか」
「今の生活を壊したくないから?」
「……はい」
外界から離れた静かな暮らしを彼女は気に入っていた。
だから新しい変化を欲しいとは思っていない。しかし、受け入れてくれる人だったなら嬉しいとは思う。
「ローズマリーが言うには優しそうな人だって。中庭も気に入って貰えるといいね」
「……はい。私もそう思います」
ラベンダーは――彼女にしては珍しい事ではあるが、ほんの少しだけ力を込めて頷く。
新しく人が来るという事は、何かしらの変化をもたらす。それはもうどうしようもない事である。
ただ訪れるであろう変化がより良い物である事を、願わずにはいられなかった。